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令和の「モテ」は平成の「モテ」とココが違う!進化した「モテたい」理論を解説

ミクニ シオリ

ミクニ シオリS.Mikuni

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「モテたい」って思うのはイケてないの?

男に媚びないのはたしかにかっこいいけれど…

「男性に選ばれる女になる」ことだけが正解ではない……と、雑誌やメディアからは、姿を消しつつある「愛され」や「モテ」というフレーズ。

たしかに「愛され」「モテ」という言葉は、少し前までは「これでもか!」と雑誌やテレビで叫ばれ続けていました。そして、そんな最中に合コンやマッチングアプリで会う初対面の人に言われる「でも、モテるでしょ?」という言葉。好きな服を着て参加した昔の友人との女子会で言われる「そんな服着てたらモテないよ〜」という言葉……。

時代がどうであれ、モテたくてもいいと思う

「モテる」か「モテないか」。そればかりで自分の価値をはかられると、「モテるために生きてるわけじゃない!」と、反発する気持ちが出てくるもの。「媚びない」とか、「男ウケなんて気にしない」というワードに、かっこよさを感じるのも、時代の流れからしたら当然のこと。だからこそ、女子会や男友達と遊ぶときは「男ウケ」を気にしない服で、思いっきりおしゃれを楽しんだりする。でも私自身は、常に一貫してそうとは言い切れないと思うのです。

だって、気になる人とのデートとなれば話は一変するから。定番のモテコーデにモテメイク。なるべく相手に好意をもたれたいと、あからさまに媚びにいったりすることもあります。もちろん、全員からモテなくたっていい。でもやっぱり、好きな人からはモテたい。それが本音です。

「主体的にモテる」のが令和の時代のモテ

田中みな実さんの「あざとかわいい」に見る新しい「モテ」

ここ最近、「モテ」が大きく進化したと、筆者は考えています。その象徴ともいえるのが、フリーアナウンサーの田中みな実さん。彼女の「あざとかわいい」は、男性のみならず、女性からも支持されていますが、これって、今までの「モテ」とは明らかに異なります。

私自身、数年前は「ぶりっ子キャラ」として賛否両論を得ていた田中みな実さんのことを、あまりいい印象をもっていませんでした。しかしSNSが普及したことで、深く知ることができるようになった昨今、そこに見たのは、「あざとかわいい」をつくるための努力の数々……。それを知って、いつの間にか好感を抱くようになっていました。

嫌われぶりっこキャラだった田中みな実さんが、いつの間にか絶大な人気に。その影響なのか、時代の流れなのか、「ぶりっ子」「あざとい」という女性らしさのアピールが、昔よりも受け入れられてきているように思います。努力を伴う女子力アピールはステキ! そんな時代の空気を感じます。

意志をもってモテるのはむしろかっこいい時代

令和的な「あざとかわいい」という「モテ」は、平成的な「モテ」とは違い、モテることに主体的。自分の意思をもって、男性を振り回してモテにいく。それは同性目線で見てもかっこよく、多くの女性の憧れの対象です。

ファッションやメークなど、小手先だけのテクニックで、男性から選ばれるためにモテたいのではなく、自ら男性を選ぶためにモテたい。これが進化した令和的「モテ」なのです。

好きな人にモテるために、私たちはどう生きればいいのか

平成的「モテ」は、女性が男性に選んでもらうためのものでした。女子アナ的な清楚さを好む、マスな男性ウケを狙った、置きにいった服装。個性を殺し、若さときちんと感だけを狙ったコンサバなメイク。

こうしたもので、世の中の多くの男性にモテたとしても、自分が好意を寄せている男性に好かれなければ、それは無意味なもの。

もちろん、令和的な「モテ」も、表面的には平成と変わらないかもしれません。しかし決定的に違うのは、それは男性のための努力ではなく、自分が生きやすくなるため、理想の男性を選択するため。つまり自分のための努力なのです。ダイエットも、自分磨きも、すべては自分のため。その結果のモテなのです。

好きな人にはもちろん、同性にだってモテたい。「モテたい」を堂々と宣言してもいい時代になったのかもしれません。

さて、次回は恋愛や結婚においては外せないテーマである「セックス」についてのお話。「大人女子とセックス」について、最近の思うところを紹介していきます!

ラブライター
ミクニシオリ

1992年生まれのフリーライター。広告業界で絵にかいたような体育会系営業を経験した後、2017年からライター・エディターとして独立。週刊誌やWEBメディアを中心に、恋愛の考察記事を寄稿中。人好きゆえの圧倒的出会い経験をもとに、Twitterでは恋愛相談にも回答しています。