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江戸時代はエロ時代?会話が弾む江戸時代のエッチな文化ネタ9選

水野 文也F.Mizuno

目次

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1:江戸時代のエロ文化が知りたい!

町人文化が生まれた江戸時代。見世物や祭り、四季の行事などが庶民にも広まり、都市部では華やかな賑わいが生まれました。

そんな江戸の町人たちは、性に対しても、今では考えられないほど、とてもおおらかでした。江戸時代=エロ時代といっても過言ではなく、現代日本につながるエロの文化が育まれていたのです。

2:春画、四十八手、遊郭、花魁、都都逸、大奥…江戸時代のエロを紐解くキーワード

江戸時代のエロ文化を象徴するキーワードがいくつかあります。それを以下に紹介してみましょう。

(1)春画

男女の性行為のシーンを描いたもので、用途でいうと、今のアダルトビデオのようなイメージ。しかし、淫靡な雰囲気はそれほどなく、誰もが普通に手に取る、ちょっとエッチなポスターというような扱いだったようです。

江戸時代には、『東海道五拾三次』の歌川広重、『冨嶽三十六景』などの葛飾北斎、美人画を多く描いた喜多川歌麿など、今も名を残す有名な浮世絵画家がいますが、春画の担い手も実は彼ら。風景画や人物画よりも、エッチな絵のほうが需要が高くてたくさん売れるというのは、今も昔も変わりがないようです。

(2)四十八手

相撲の決まり手を四十八手と言いますが、それをエッチなことに転換したのがコレ。性交体位の種別を表したもので、相撲のそれと分ける意味で「江戸四十八手」とも呼ばれます。かるたのようなカードタイプだったり、大判の一枚絵になっていたりとさまざまな形で製本されており、その浸透率はかなり高かったようです。

ここでは詳しく記しませんが、「松葉くずし」「仏壇返し」などは、耳にしたことがありませんか? そう、これらは四十八手の中に含まれています。上述した春画に描かれることも多く、実際には、「ちょっとこれはムリなんじゃない?」といったものも含まれていて、ある意味、ギャグっぽい扱いであったようです。ちなみに、春画も「笑い絵」と呼ばれることがあります。

(3)遊郭

今では法律によって禁じられている売春ですが、江戸時代では幕府公認の場所があり、それは遊郭といわれていました。吉原などは、時代劇などでもおなじみでしょう。また、「岡場所」というのを聞いたことがあるかもしれません。こちらも同じく女性が春を売るところですが、遊郭とは違い、幕府非公認の私娼(ししょう)街を指します。

身売りされた女性たちが囲われた場所であり、悲しくつらい側面も大きいですが、男性の社交場や流行の発信源といった機能もありました。

(4)花魁

遊郭で男性の相手をするのが女郎という職業。そのトップが花魁(おいらん)です。

何しろ、花魁はとにかくエライ! 客のほうが下座に座り、初回は顔見せ程度で、花魁が「この客はイヤ」と思ったなら、相手にしてもらえません。床入れするまで3回は通わなければならないくらい、格の高い花魁もいたといわれています。

『吉原炎上』『さくらん』『花宵道中』など、遊郭を舞台にした映画でも、花魁が魅力的かつ刹那的に描かれています。つらい身の上にありながらも、美しく逞しく生きる姿やおしゃれなセンスは、今でいうところのトレンドセッターであり、若い世代の憧れの的でもありました。

(5)都都逸

江戸時代、庶民など多くの人に歌われたのが都都逸(どどいつ)でした。有名な落語のひとつ「三枚起請」にも、「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」という都都逸がオチに使われてます。

これは七・七・七・五調で、三味線の伴奏に合わせてうたわれる俗謡で、恋愛を題材にしたものが多いです。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と美人を形容するおなじみのフレーズの言葉を分解してみれば、これも都都逸の形式とわかるでしょう。

遊女が「星の数ほど男はあれど 月と見るのは主ばかり」などと歌えば、お客の男性が悪い気はしないもの。こんなふうに粋なフレーズで、お客をつなぎとめていたかもしれませんね。

(6)大奥

武家の屋敷では、仕事や儀礼の場である「表」と、日常生活の場である「奥」にわかれていました。そして大奥とは、江戸城に存在した将軍家の子女や正室、側室、奥女中(御殿女中)たちの居所。男子禁制の場で、そこでは将軍は手当たり次第! エロいイメージですが、これは将軍家の血を絶やさないための制度です。

ものすごい好色の将軍がいたのも事実で、11代将軍の家斉(いえなり)は、特定されているだけでも53人の子どもをもうけました。春画も花開いた化政文化が隆盛を極めたのは、家斉の時代だったというのも、なんとなく納得できますね。

3:江戸時代のエロトリビア3つ

(1)延命院事件

僧侶が女性と性的に通じることを女犯(にょぼん)といい、江戸時代では大罪でした。そうした中で、谷中の延命院の住持であった日潤は、初代尾上菊五郎の隠し子ともいわれたイケメンの僧侶で、説法も上手かったことから、当時の女性に大人気! 普段、悶々と過ごした大奥女中などが延命院に通い、日潤と関係をもっていたのです。

その噂が大きくなったことで、当時の寺社奉行だった脇坂安董(やすただ) は、密偵を放って自ら乗り込み、日潤を現行犯逮捕! 関係を持っていたのは、身分の高い女性が多かったため、一大スキャンダルとなったのです。表向き武家社会は規律が厳しかったのですが、一皮むけば、女性もエロエロだったんですね。

(2)江戸の風呂は混浴!?

江戸時代は、「風呂の文化」といってもいいほど、いわゆる銭湯が栄えていました。その初期から元禄期ごろまでのお風呂屋さんは、湯船ではなく、蒸し風呂でした。

風呂屋にはお客の背中を流す「湯女(ゆな)」と呼ばれる女性たちがいて、実はそこで性的なサービスもしていたといわれています。当時の江戸は、男女比で女性が不足していたことから、悶々とした男たちはこぞってお風呂屋さんに通ったそう。

やがて、現在のような湯船に浸かる、現在の銭湯のようになりますが、そこでは何と混浴が一般的! 風紀が乱れるため、幕府も幾度か禁止令を出しましたが、男湯と女湯に分けると経費がかかるため、最終的に混浴はなくなりませんでした。

ただし、若い娘さんなどは、母親やおばあさんなどが見えないようにガードしたり、覗き込もうとするスケベな男性を叱るなどといった配慮も。

この混浴の風習に驚愕したのが、日本に開国を迫ったペリー。日本人は真面目で勤勉、道徳心に厚いのに、風呂だけはなぜか混浴……ということの意味がわからず、その道徳心を疑うといったことを日記に記しています。

(3)春画は海外でも人気

日本の浮世絵は、フランスの印象派に影響を与えたといわれていますが、風景画や美人画だけでもなく、当然、春画も人気でした。

また、勝海舟が咸臨丸(かんりんまる)で米国に渡った際、現地の名士をからかってやろうと、春画を見せたところ、案の定、怒りが爆発! ところが、これは公の場の取り繕いだったようで、後でこの名士はわざわざ船まで勝海舟を訪ね、「さっき見せてもらった絵だけど、あれ、譲ってくれないかなぁ」と頼み込んだ、などという逸話もあります。

また、例えば、葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』にも掲載されている「蛸と海女」という名で知られる、タコと裸体の女性が絡み合った絵は、エロ画でありながら芸術性は非常に高く、国を超えて愛好者が多いです。

4:まとめ

以前、歴史上のエロについてまとめたところ、大変評判が良かったので、今回はその続編として、「エロ時代」ならぬ江戸時代のエロについて紹介してみました。調べれば調べるほど、奥が深いエロの歴史。また春画の中には、極めて芸術性が高いものがあり、性的興奮を忘れさせるような、唸らせる作品がたくさんあります。