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親は選べない。毒親と生きた女性の物語【第13話・後編】―シンデレラになれなかった私たち―

毒島 サチコ

毒島 サチコS.Busujima

©gettyimages

Case13 毒親と生きた女性

名前:ユウカ(27歳)

大阪府出身。3歳のときに両親が離婚し、母と祖母、妹の4人で暮らしている。物心ついたときから、家族の食事の支度は自分の役割。高校生ときにそれが「普通の家庭じゃない」ことに気がつき、ひとり暮らしを画策するも、「結婚するまでは家を出てはいけない」と言われ、地元で就職をした。

前編はコチラ

婚約した日

婚約を決めた相手は、7歳年上の東京生まれの人でした。

大阪で働いていたときに、仕事を通して出会ったエンジニアで、母とは正反対の性格。私のすることに何も干渉せず、いつも「ユウカちゃんが笑っていてくれればそれでいいよ」と言ってくれる優しい人でした。

付き合い始めて2年が経ち、「同棲しよっか」という話が出始めた矢先、彼が東京に転勤になり、そのタイミングでプロポーズされたのです。

「これで実家を出られる! やっと、あの母親から解放される」

待ち望んだ日がとうとう来たのです。

毒親との決別

そのとき、私は24歳になっていましたが、状況は変わらず、仕事しながらほとんどの家事をこなし、さらに社会人になってからは家賃として、給料の半分以上を家に入れていました。

母には前から彼氏がいる事は話していましたが、プロポーズされたことを話すのはこの日が初めて。

「お母さん、私、プロポーズされて……あの、仕事で知り合った取引先の彼。結婚しようと思う」

夕飯中の何気ない会話の中で、さらっと伝えました。母は「あら、いいじゃないの。今度ちゃんと会わせてね」と言いました。意外な反応に、ホッと胸をなでおろしました。

「うん、もちろん! でね……相談があるんやけど、彼が東京に転勤になって、私ついていこうと思う」

東京。その言葉を聞いた瞬間、一瞬にして母の表情が変わりました。

「え……? 東京に行くん?」

さっきまで笑っていた母の表情が曇ります。

「そう。彼、もともと東京の人で。今は大阪に転勤しているっていうか、まあ本社に戻るって感じ。それで、結婚し…」

「そんなの、許しません」

結婚式の話をしようとした瞬間、母は私の言葉を遮りました。

「東京の人と結婚なんて、東京に行くなんて、許すわけないでしょう! 何考えてるん?」

思わぬ言葉に何も言えなくなりました。母はワナワナと震えています。そして続けてこう言いました。

「あんたも私を捨てるの?」

駆け落ちのように

その瞬間、今まで我慢していたものがすべてあふれ出てきました。

「もうお母さんの人生の上で生きるのは嫌!」

それは、生まれて初めてした反抗でした。止まらない涙を一生懸命堪えながら、必死に母に訴えました。もう自由にさせてほしい……と。

母は激昂し、「あんたなんて娘じゃない! 出ていけ!」と罵倒しました。

私はその言葉を聞いた後、ある種諦めのような感情を抱きました。

何を言っても無理なんだ。母と一緒にいる以上、母の敷いたレールの上でしか生きることができないんだ……。

私は、駆け落ちのごとく、家を飛び出し、彼と結婚しました。

長く続かなかった結婚生活

東京で挙げた結婚式には、家族で唯一、妹のみが参加しました。顔を覚えていない父からは、ご祝儀と電報が届いていました。

結婚して少ししてから、ずっとやりたかった出版社の営業の仕事を始めました。大阪にいるときは「実家から通える大手の事務職しかダメ」と母親に決められていたので、自分で仕事を選ぶのもこれがはじめてでした。

仕事を始めて、毎日残業続きでしたが、充実感に満ちていました。一方で彼とはすれ違いが生まれていました。彼は、残業することも、外に飲み歩くこともなく、まっすぐ家に帰ってくる人だったからです。

次第に、こんなことを言うようになりました。

「ユウカちゃん、仕事やめたら? 専業主婦でも暮らしていけるじゃん」

彼は優しい口調でそう言いました。でも、私の脳裏には、母親の顔が浮かんでいました。

「それは、あなたの理想でしょ……。あなたに言われるがままに生きなきゃいけないの?」

彼が言う「こうしてほしい」に対して、嫌悪感を抱きました。そう言われるたびに、どうしても母の顔が浮かんでしまって「あなたも母親と同じように、私を縛ろうとするの?」と感じてしまうのです。

東京で忙しく働く日々は、まるで遊べなかった青春時代を取り戻しているかのようでした。

結婚して2年たったころには、顔を合わせるたびに喧嘩をして、別々に寝るようになりました。そしていつの間にかほとんど言葉を交わすことなく生活するようになっていたのです。

そんなある日、彼が言ったひと言で、家を飛び出しました。

「母親から離れたいから、僕のことを利用したんだろ」

彼から言われた言葉


「母親から離れたいから僕を利用したんだろ」

彼から言われた言葉が何度も頭の中で再生されています。それは間違いなく、図星だったからです。

私、何をしてるんだろう……。

彼のことを愛していなかったわけではありません。でも愛している以上に、「母親から解放されたい」という思いで、彼と一緒になったのです。

家を出てからあてもなく街を歩き、コンビニでホットコーヒーを買って、公園のブランコに乗っていました。

深夜の住宅街にキィキィとサビたチェーンの音が鳴り響きます。

「これからどうしよう……」

このまま彼と続けていけるだろうか……。彼と子供を作り、ちゃんと母になれるだろうか。その姿はまったく想像がつきません。

ブランコに乗りながら、自分の子供のころのことを思い出していました。今思えば、両親に遊んでもらった記憶はほとんどありません。少しだけ思い出せるとしたら、もう顔の覚えていない父に、ブランコを後ろから押してもらった記憶くらいです。

母親と絶縁して、もし彼と離婚したら……私は本当にひとりで生きていかなければいけません。

父との再会

「離婚」という2文字が思い浮かんだとき、ふと、幼いころに私の前からいなくなった父のことを思い浮かべていました。

「なぜ母と父は離婚したのだろう」

私はその理由を知りませんでした。ただ、私が家を出た日、母が言った「あんたも私を捨てるのか」という言葉が耳にこびりついて離れなかったのです。

私は、結婚式のことを思い出しました。顔も覚えていない父からのご祝儀と電報があったはず……。

もう絶対にかかわることのないと思っていた父の電話番号を見つけ、父にSMSでメールを送りました。

「お父さんはどうして離婚したの?」

父に最後に会ったのは3歳のころ。21年ぶりの娘からの連絡がこんな内容だなんて、思ってもみないでしょう。深夜に連絡をしたのに、父からすぐに返信がありました。

やりとりをしているうちに父は今、東京でひとり暮らしをしているということが分かりました。そして、会って話をすることになったのです。

知らなかったこと

数日後、父と待ち合わせしたカフェで、私は大粒の涙を流していました。

21年ぶりに会った父は、母との離婚について、いろいろと教えてくれました。結婚した後、付き合っているときは分からなかった母のヒステリックな性格に耐えられなくなったこと。そして、男癖の悪さに愛想をつかしたこと。離婚後は、絶対に娘に会わないよう誓約書を書かされたこと。

「こんな話を、ようやく会えた娘にするなんてなぁ」

父はそう言いながら、私の顔を見て「ま、元気に生きとってよかったわ」と言いました。

離婚の真相を知って、私は泣いていたわけではありません。離婚してから15年間、父が学費を出してくれていたという事実を知ったからでした。

私の通っていた高校と専門学校は学費が高く、到底母親の給料では払うことができません。でも、奨学金を借りることなく学校に通えていたのです。ずっと不思議に思っていましたが、それは養育費とは別に、父親がすべて負担してくれていたお金でした。

それが分かったのはこんな会話がきっかけでした。

「ほんで、大学は卒業したんか?」

父は私にそう尋ねました。

「え? 私、大学行ってへんよ。2年間の専門学校」

そういうと、父は大きく手を叩いて笑いました。

「じゃあ、母さんに一杯食わされとったか。ユウカは4年間大学に行ったって言うとったよ」

「大学は学費が高いし、女の子は行く必要ないってお母さんが……」

その事実を聞いても、父は怒ることもせず、ただなんども「ま、元気でよかったわ」と言って笑いました。

自分のお給料から、ずっと学費を払っていてくれたんだ……。今まで母から「あの人はダメ人間」と言われ、私を捨てたと思っていた父。でも、知らないところで、何度も私は父に救われていたのです。

「お父さん、ありがとうね」

私は何度も父に感謝の言葉を伝えました。それでも父は何度も「こんな親でごめんな」と言うばかりでした。

最後まで父は、私がなぜ急に父に連絡したかを聞いてきませんでした。でも帰り際、駅に向かう途中に、私の顔をまっすぐみてこう言いました。

「親は選べないけど、自分の人生は選べる。ユウカのやりたいようにしなさい」

父のそのひと言で、私は離婚を決意しました。

そして同時に、母親から解放されたのです。

離婚、そして新しい町へ

その一か月後。子どももいなかったり、これといった話し合いもなかった私たちは、すんなり離婚することになりました。

私は、短い手紙と記入済みの離婚届を置いて部屋を出ました。

これから新しい家に向かいます。池袋のちょっと向こうの新しい街。人生で初めてのひとり暮らしに、少しだけワクワクしている自分がいました。

考察:親は選べない。でも人生は選べる

「毒親っていうのは、蝶の羽を剥ぐように、子供のお金や時間を剥ぎ取って、飛べなくするんです」

結婚して、実の母親とも縁を切った。でも……。

「結婚したとき、自分ではじめて人生を選んだ!と思ったんです。でもそれは、母親から解放されるために選んだ結婚だったのかもしれません」

ユウカさんは、取材のあと、こう語りました。

「別れてしまったけど、彼には感謝しています。私に知らない世界を見せてくれた人だから。離婚と仕事は、私が初めて自分でした人生の選択だったんです」

ユウカさんは今も東京で働きながら、いつか素敵な人に出会い、母親になる日を夢見ています。

「親は選べない。でも、人生は選ぶことができる。今がいちばん楽しいです」

【筆者プロフィール】

毒島サチコ


photo by Kengo Yamaguchi

愛媛県出身。恋愛ライターとして活動し、「MENJOY」を中心に1000本以上のコラムを執筆。現在、Amazon Prime Videoで配信中の「バチェラー・ジャパン シーズン3」に参加。

【前回までの連載はコチラ】

妄想恋愛ライター・毒島サチコが書く「選ばれなかった人」の物語。【連載】シンデレラになれなかった私たち

「どうして私と別れたの?」元彼が語ったサヨナラの理由【第1話・前編】

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次回:5月23日土曜日 更新予定

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